終了直前の統括

シンケンジャーがもうすぐ最終回ですが
それまでの感想をまとめて書いておこうと思います


※言いたい事はこの通りですが 長文なので文に乱れがあるかもしれません


まずゲキレンジャーの頃にも書きましたが
僕は基本戦隊シリーズは「大好き」か「まあ好き」の
どっちかってぐらいフォーマットが気に入っていて
それを始めて覆したのがゲキレンジャーなんですが(※ゲキはゲキで好きなところもあります)


で シンケンも最近まで「まあ好き」で安定していました
なぜ「大好き」に行かなかったかというと
話の中でやたら丈瑠が持ち上げられる点と
(丈瑠が強くて凄いという描写は多いけど ちょっとしつこく感じたし
説得力を感じない箇所もけっこうあった)
茉子のいつもの小林ヒロインっぽさが苦手って理由なんですが


流ノ介や千明は好きだったし(特に千明)
中澤監督の演出スタイルがうまく世界観とマッチしてたことや
(あと諸田監督も意外(と言ったら失礼か)にハマってて
この作品的にはナベカツ監督や竹本監督より合っていたかと…)
剣殺陣の美しさ(とくにレッドの福沢さん)などの部分も好きな点です


中盤の批判でよく見られた「源太がなんでも解決しすぎ」ってのも
感じてはいたんですが まあそこまで気にするほどでもなく大丈夫でした


問題の影武者展開も「ふうん…まあ大事なのはこれからどう展開させるかだよね」
ぐらいにしか思ってなかったんですが


四十七幕で違和感が一気に増大しまして…
そもそも考えてみるとその前に 丈瑠が茫然自失で自暴自棄気味になるのに
納得がいかなかった
あれがもし「自分が影武者だと知らなかった」のなら
あそこまでやさぐれるのも分かるんですが
「覚悟はしてたはず」の「いずれ来るであろう時が来た」のにアレなんですよね
序盤で家臣たちにストイックな侍道を説いてた割に自分はそれかよみたいな…
本当にストイックなら
「騙していて本当にすまなかった もし許してくれるなら姫の家臣として一緒に戦わせて欲しい」とか
言うと思うんですが
もしくは5人の前からは離れるけど影ながらサポートするとか
どっちにしてもひと悶着はあるでしょうが…


まあ好意的に解釈すれば 序盤のストイックさすらも演じていたものってことかもしれませんが
どっちにせよ劇中のあの反応では感情移入もできなければ可哀想とも

思えないんですよね
影だと知らなかったとしたら 爺も丈瑠を騙してたことになるけど
そこは体を張って助けて「嘘だけではございませぬ…!」の描写でカバーできるし


その後4人が丈瑠を助けに来るけど
そこで「例え殿じゃないとしても 俺たちの絆は嘘なんかじゃない!一緒に戦おう!」
になるかと思いきや
「俺たちが殿と認めて仕えるのはお前だけだ!」って…
この流れが本気で理解できない…
これも今の流れに違和感を感じる人たちの意見では多数を占めるものですが
君らは「丈瑠という人間」だからじゃなくて「殿であってほしい人間」だから助けるの?
「確かに殿じゃないんだろうが それでも1人の人間としてあいつを助けに行く!」と
「たとえ本物の姫がいようと 俺らが決めた殿はあの人だからそっちに行く!」って
だいぶ違うと思うんですが
殿と家臣と言う主従関係が個人への想いより上回るの?
そこってそこまで重要視するところ!?


で、薫の養子で本物の殿になったところで違和感が爆発しました
例え立場的にはみんな同じ家臣になったとしても
丈瑠を尊敬するなら勝手にすればいい
でも本物の殿にする必要がどこにあるのか?
丹波のような血筋に拘る家臣を納得させるためという
意見も見ますが それでそこまでする必要があるんでしょうか
そもそも丹波は言い方がイヤミっぽいだけで別に間違った事は言ってない
丈瑠が姫の下でみんなと一緒に戦えば戦力的には変わらないんだし
それでも「丈瑠が殿じゃなきゃイヤなんだい!」を押し通すのって
序盤から少し感じていた「丈瑠贔屓」を最大限に膨れ上がらせたような感じがします
薫のキャラもそんな感じだし
どうしても丈瑠=殿でいてほしいなら影武者展開じたいやらなければいいんだし
元鞘に収めるのであればあの展開にする意味が無いし


僕が違和感を覚える最大の原因は視点がふたつしかないためだと思います
要するに丈瑠に従うか協力するのがいいもんで それ以外は悪者な二元論的なカンジというか
普通描写が特定のキャラに偏らないように
そのキャラに対するカウンター的な要素を入れるもんなんですが
シンケンジャーではその要素が弱すぎた
最初千明がその役かなと思ってたんですが…
もしくは折衷案的な解決策で現実と折り合いをつけるとかですね
(殿ではないけど侍のリーダーとして続闘するとか)
だから丈瑠大好きでそういう要素まったく気にならない人は楽しめると思うんですが
僕は影武者判明して失踪後の丈瑠を可哀想とも思えないし
(前述の理由で試練が中途半端だから)
しかも理由が「自分になにもない」からっていう理由なのが女々しいなとすら思いました
(まあ男のほうが女々しいとはよく言いますが)
「仲間たちに申し訳なくて会わせる顔が無い」だったらまだ少しわかるんですが
で、丈瑠を可哀想と思えない=仲間たちの心配の仕方もどっかピントがズレて感じるので
結局好きだったはずの流ノ介や千明にも感情移入できなくなる…と


丈瑠が殿になる展開にしたって
ひとりのキャラのために世界の方を変えてしまった感がって
なんか文章だけ見ると神埼士郎かってカンジですが…
偽の殿っていう嘘のせいで丈瑠が可哀想な目にあってるから
嘘をホントにしちゃおう(偉い人の権限使って)みたいな
「甘やかし」に思えちゃうんですよね


「どこまで逃げても嘘はホントになんかならない」という話をアギトで書いてた
小林さんがこういう話を書くというのがなんとも不思議ですが…


とりあえず今書けるのはこのぐらいです
あとは最終幕を見て 補完しようと思ったところはします
ただ最終幕を見て今までの感想が覆る事は無いと思います
作風自体はある意味一貫してますからね 「殿様万歳」っていう…


最終回視聴後の感想↓
http://d.hatena.ne.jp/wandora/20100215