ちょっと早いけど

メビウス統括を


以前セルフ同人作品と書きましたが
今もその印象は変わりません
なんというかメビウスって「オタクの悪い癖」が
出まくった作品だと思うんですよ。
シリーズ構成の赤星氏の雑誌でのインタビュー見たんですが

「これだけ駒(素材としての昭和のシリーズ)が
 あったっていうのがありがたかったですね。
 楽しかったですもん。キングカッパーの頭が温泉になってて、
 コノミとマリナとミサキさんが入ってて、
 メビウスが助けに行こうとすると「キャー来ないでエッチ」って
 水かけられるっていうのはやりたかったんですけど、
 やらなくていいっていうお達しで(笑)。
 あと、コノミちゃんがハニーゼリオン食べて巨大化して、
 ミクラスに慰められるっていうのもやりたかったんですけどね(笑)。」

…ですって。


もちろんインタビューだから おちゃらけてる部分もあるのかもしれないけど
正にテレビ放送作品で同人活動やってるようなもんです。
こういうのは「リスペクト」と言えるんだろうか
過去の名台詞の引用やなんかでもそうだったんですが
マニアに「あっ!」と思わせようとしてるだけで
実際に話の中で効果的に使おうとかそういうのは考えてないんじゃないかと
更に言えば それによって意味を改変したり
限定したりして伝えてしまうんじゃないかと
せっかく広い意味にとれる台詞もあるのに…と思います。
これも某所からの引用ですが…

よく言われることだが、果たして元祖の焼き直し作品を作ることが元祖への敬意だと呼べるのか?
初代からして前例にとらわれない今までに無い新しいヒーロー像を作ったんだから、
また新しいヒーロー像を作っていくべきでは。
どこかで聞いた「受け継ぐのは、魂」っていうキャッチコピーは素晴らしいと思ったよ
ただ表面を似せるだけではなく、芯の部分を継承することが大切なんだ。

僕はこういうのこそリスペクトと言えるのだと思います


何より 見ているのは「今の子供」だということをスタッフは理解していたのか
「親子揃って楽しめる」から
「過去作のマニアを楽しませる」にシフトしていたような気がする
さら言ってしまえば 疑り過ぎかもしれないが
「知識自慢のマニアを唸らせる自分たちって凄い」って陶酔すら感じてしまう。
アニメ「星のカービィ」のアニメ制作の話(2話あったけどどっちも凄かった)で
「オタクはやめてプロになれ!」という台詞があったけど まさにそれ
物を創るにはマニア心も必要だけど プロの表現者となるからには
自分の楽しみより優先させるべき物がある そこなんですよね
自分もよく噛み締めなきゃならない言葉ですが…



しかし一番の問題は 散々言ってきたように
話の中心に居座っていたGUYSなんですが
そもそもなぜGUYSのような組織にしたのかを考えてみたんですが
まず今作は過去のウルトラマンが登場するという設定が先にあったため
普段にも増して防衛チームのキャラを描く機会が減るため
「絆」を描こうと出番を多くしたのかもしれません
しかし これは自分の経験からも言うんですが
オタクの悪い癖として 脇役を主役並かそれ以上に目立たせることに
固執するんですよ 別に個性的な脇役を作ろうとするのは間違ってないんですが
固執」するのが問題で…


例えば 最初から仕事が出来る軍人より 一から成長していくキャラの方が
エピソードも多く描ける!こりゃいいや みたいな
まあそこはあくまで予想なんですが とにかくGUYSはそういう素人が成長路線を
歩みだしてしまった
まあこの辺の指摘は以前もしたので
http://d.hatena.ne.jp/wandora/20061106#1162747815
これを見てもらうとして
やはり あのメンバーがGUYSである理由が無いのが一番痛い
オーシャンに勇魚のような優秀な人材がいるのを見るに付け
正直もっと訓練もしてるし覚悟もある人を招集できるだろうと
全くのビギナーから始めると言う設定だからこそ
少し過剰すぎるぐらいに特訓や甘さを払拭する話に力を入れた方が
感情移入もしやすいし 説得力も出てくる
これは最初からメンバーという設定ならそれほど気にならない部分なんですが
初心者という設定を入れた時点で盛り込まなければならない課題みたいなものです
怪獣を退治する 世間公認の組織という設定もそれに拍車をかけていますが。


そういえばGUYSは そういう組織にいるんだという自覚が足りない描写もチラホラありました
今更ですがサークル活動の延長をやってるようなノリで
たびたび引用ですいませんが

あと、ザムシャーの回でも思ったんだが、本当に「手作り感覚」の防衛隊だよな。
国家と人民の存亡を賭けて戦う軍事組織の超重要任務においても相変わらず、
人手が足りないなどと言ってコノミやテッペイが整備士の仕事まで担当してるし。
あのでっかいフェニックスネストの中には本気でGUYSクルーとトリヤマ、マル、ミサキ、アサミ、
アライソ、アライソの部下数名しかいないんじゃないかと錯覚させられてしまう。


サコミズは物分りのいい(よすぎる)顧問の先生 トリヤマとマルは校長と教頭と言ったところか。
感謝デーみたいなのも 学園祭で出し物を発表してるみたいなノリ
一般人との触れ合いが少なかったのを別にしても
エンペラ星人がやってきた時も世界的なピンチという感じがしないのは
そういうところの影響もあるかも。
「青い火の女」の避難誘導描写みたいなのをもっとやっていれば
「デスレムのたくらみ」の覚悟を決める描写も様になったろうし
普段から真面目に特訓とかしてたら
たまにパーティとかやるのもまあいいかと思えたでしょう。


一般人とからんで 自覚に目覚めていきつつ
経験者のリュウや ミライがリードして
本当の意味で心を成長させていけば
あそこまでサークル活動っぽくもならなかったと思います
この辺は「巻き込まれヒーロー」を描きなれている東映
お手の物ですが。


あとは 友情の安売りみたいな描写の数々ですが
これはここ言ったし他所でも言われてるし
メビウスに限らず 他の作品でも見受けられる傾向なので
言及は省きます。


とりあえず今はここまで 今の自分の考えはありったけ書いたつもりです
最終話を見て 若干追記する事はあるでしょうが
基本的な考えは変わらないでしょう。